柿と私と蜂

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古本屋で本を漁り、活字の海から平泳ぎして帰ってくると、私のバイクの横に落ちていた柿に貪るヤツがいる。殺生を重んじる坊主でも檀家さんのためにと駆除を依頼するほどに危険な蜂、オオスズメバチが1匹、尻を気分良く動かしながら柿を食べていた。

 

古本屋の隣の竹林の中に1本不思議と生えた柿の木から落ちた柿。少し落ちてから時間が経ち、今朝方降った雨でジャムみたいになっていた柿。それを貪るオオスズメバチ。柿と蜂と私、力の強さ順ならば妥当だが、オオスズメバチには毒がある。一方的には負けないが、必ず相討ちは必然だ。そんなオオスズメバチが私のバイクの横でひたすら柿を食べていた。

 

私はその姿を写メし、少しばかりオオスズメバチを眺めた。虫や動物は基本的に人間が怖いのである。何かされるかも… されるくらいならやっちゃえ! が虫や動物の防衛本能だ。だから、何もしなければ彼らも何もしない。不意に刺されたとかは、何かしら刺された人にも非がある。どんなに小さいことでもだ。人間ほど、知らず知らずに非がないところで火を起こしているものだ。
「大丈夫だ。僕は君を見てるだけだ」とある国では24時間1人の監守に見られ続けるという拷問がある。どんな時も誰かに見られている、そんな暗示を与え、犯罪の再発を抑制するものだ。それはかなりのストレスとフラストベーションを貯めることになる。下手をすると人間不信、下手をすると対人恐怖症など精神を病む方向に向かうらしい(精神を病ませて、凶悪犯を法の管理下に置くことも視野に入れているのではないか?と私は睨んでいる)。つまり、このオオスズメバチにとって食事中をひたすら見られ、撮られ、独り言に付き合わせられ、ただでさえ肌寒いのに、私の巨体で陽射しも奪われ、とかなりの拷問かもしれなかった。
「だがしかし、おまえは柿泥だ」竹林の管理者と話したことがないからわからないが、この柿の木は自然とはえていた、と言っても不自然なところがないほどにヘンテコな容姿をしている。管理がある程度されている竹林と見合わせても歴然だ。この柿の木は勝手にここにきているのだ(わかっているがあえて言わないことに気づいてもらいたいので説明する。昔、古本屋の土地にあった家が所有していた柿の木が家が壊され古本屋にシフトチェンジした際、フェンスで古本屋の私有地を囲ったときに柿の木を外側にしてしまった。そして竹林側は古本屋側の所有物たる柿の木に触れられず気づいたら… といったものだろう。そんなことわかっているが、私は今梶井基次郎さんの気持ちで書いているのだ)。
野生の柿の木からおちた柿。落ちた柿の所有権は柿の木側にはないと日曜夕方の永遠の5年生が言っていたから間違いない。だが、それを食らうのが蜜蜂の巣を襲うビー界のマフィア、オオスズメバチだ。何かあるかもと疑いの目を入れなければならない。彼らには前科がありすぎる。そう言えばアリ達がいない。こんな熟れた柿が落ちていたら、冬眠のために栄誉補給を考える彼らが見逃すはずが… はっ! 私は冷や汗をかいた。もしやこいつはすでに犯罪を犯したばかりなのではないか? アリたちを虐殺し、柿を独り占めしているのではないか? 下手をすればてんとう虫たちと策謀して、アリを駆除する代わりに柿の権利を譲り、てんとう虫たちはアリたちに守られていたアブラ虫たちを大量に仕入れたのではないか… 恐ろしいことがこの古本屋駐輪場で起きている。自然界の掟だから仕方ない。生き延びるには、命を食らう必要があるのだ。ベジタリアンも考えよ。あなだが食べている野菜も植物だ。つまり命を喰らっているのだぞ。
「おまえがやったのか?’」オオスズメバチは何も語らず、柿を食べている。
<だったらどうする? 人間様の安い善意で我々を駆除し、蜂蜜の海に溺死させて我々の毒で甘さを極めた蜂蜜を作るのか? そのほうが非道だろ?>オオスズメバチはそんなことを言っているような気がした。私は立ち上がり、古本屋へとバックアゲイン。店主にオオスズメバチがいた、ともしかしたら巣があるかもしれないと言って置くか… だが、待て、今までの話は空想だ。ただ、冬越しのために栄誉補給していただけかもしれない。アリは寒いから出ないだけかもしれない。何の罪もないオオスズメバチを偏見だけで虐殺するのは如何なものか? 刺されて危ない。それは人に非があるから仕方がない。自分は被害者だと勘違いしてはいけない。それにもうすぐ冬だ。彼らも死ぬか大人しくなるかしか選択肢はない。冬を生き抜けるのはフユシャクくらいなのだ。
私は店内を一周したあと、梶井基次郎 檸檬を手に取り購入してオオスズメバチの元へ戻った。申し訳程度のレジ袋で熟れた柿を掴み、竹林のほうへ運んで柿の木の下に隠すように置いた。私が、いなくなったあと駆除されては後味が悪いし、子供が触れて良い経験をさせるのも癪だった。
「冬を越したら蜂蜜を献上せよ」私はそうバカなことを言ってバイクに乗ってその場から離れた。
「もしかするとあいつが擬人化して、絶世の美女となって僕の前に現れるかもしれない!」人間様のご都合主義作品のようなことを考えながら私は家路についた。その日は変に気持ちが上がっていた。新しいことをやろう。そしてこれが書かれたということを知るのは私と蜂と柿にしか知りえないことだった。

10月14日